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知っているつもりでいることは世の中多い。

例えば、ガリレオ=ガリレイはどうだろう。
「それでも地球は動いている」で有名なこの科学者は、旧弊で腐敗しきった中世ヨーロッパのキリスト教権力によって、その科学的功績を歪められ、白紙撤回させられた悲劇の天文学者として知られる。
と、同時に、中世のバチカンが如何に横柄で、客観的な事実に対しても、それを頑として認めず、相変わらず聖書を振り回して人々の知的自由を束縛していたかの歴史的な証拠としてよく槍玉に挙げられる。

しかし、事実はそう単純ではないみたいだ。

ガリレオを跪かせた当人、教皇ウルバヌス8世は元々ガリレオのパトロンであり、友人だったという。
さらに、非プトレマイオス的な(つまりコペルニクス的な地動説)を『数学的』に教える事は当時も認められていた。ただ、それを神や天地創造と結びつけるのはご法度とされていた。勿論、バチカンの権威に関わるからである。
さて、バチカン的な権威というのは当時、とてつもなく強大なものだった。世俗的な権威では勿論、広大な土地を所有し、政治に干渉する事さえできた。しかし同時に、とてつもなく脆いものでもあった。教皇には、王権の様な血の繋がりが無く、選挙で選ばれた。つまり、バチカンの中で生き残るのに必要なのは政治力だった。
バチカンは体裁を重んじる。トップの教皇なら尚更である。

だがそれに反抗する男がいた。
我らがガリレオである。

ガリレオは『天文対話』を発表。
その中で地動説を披露した。
しかし、その発表の仕方が如何にも不味かった。
もう一度言うが、バチカンは地動説の提唱自体を禁止はしていなかった。
平たく言えば、形而上学的な議論と、実際の科学的な議論は別モノであって、教会の権威を傷つけない限りはこれを許していたのだ。つまり一般的に思われているほど、中世のバチカンは科学に狭量だった訳では無いようなのだ。
なのにガリレオは教会に対して挑発的とも言える内容で『天文対話』を発表してしまった。
具体的に言えば、作品中に出てくる『シンプリチオ』(頭の中が単純=シンプル)という登場人物をどうやら教皇自身をモデルにしてしまったらしい。
この、バチカンという政治家集団のお偉いさんを刺激したのが不味過ぎた。
ガリレオ的には、ウルバヌス8世がパトロンであり友人でもある事で大目に見て貰えるという腹積もりもあったのかもしれない。
が、コケにした相手が悪過ぎたらしい。ガリレオは軟禁生活を強いられる事になる。

つまり、ガリレオは反科学の総本山であるバチカンによって無理やり自説を捨てさせられた、というよりは、
割と科学には寛大だったけども、権威を傷つける人間には容赦しなかった権力者たちによって社会的に抹殺させられたというのが本当なのかもしれない。

ガリレオは性急過ぎた、というのが専門家の間での意見でもあるらしい。
『天文対話』をもっと穏便な書き方をしていたら。或いは、バチカンに対して根回しを十分に怠らなかったら、軟禁生活を強いられるような事は無かったかも知れないという訳である。
えー、半分はガリレオも悪い、と。

ガリレオ=ガリレイ、歴史に名を残す偉大な人物ではあるが、同時に、物凄く短気な癇癪持ちでも有名だったらしい。
短期は損気だ。



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西暦1632年 - 「天文対話」出版
1632年、1632年、イタリアの物理学者で天文学者のガリレオ・ガリレイが「天文対話」を出版する。本書は地動説を支持する大衆向け書籍であったため、カトリック教会から異端とされる。
URL 2009/10/03(Sat)19:
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