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 ル・グィン著。

ル・グィンという名にピンと来なくても『ゲド戦記』の人だと言えば大体通じるのではないかと思う。
私もそうだった。
最後まで読んで、後書きに目を通して初めて分かった。
そうかゲドの人だったのか!と。

しかし私はゲド戦記すら実は読んだ事は無い。
昔々、幼稚園くらいの頃にオタフク風邪か何かを患った時に、母親に連れられて行った市民病院の待合室にゲド戦記が置いてあって、暇潰しに読み聞かせられた気もするが・・・。
正直、挿絵が怖かったので碌々に話を聞いてなかったのだと思う。
さっぱりと内容については記憶はない。
もしかしたらオタフク風邪の痛みの所為で、それどころでは無かったのかもしれない。

だが、その本の挿絵についてはおぼろげながらも今も思い出せる・・・気がする。
確か、何やら人が、山か、野原か、海か、まぁそんな場所を駆けている図だった気はする。
怪しい記憶を掘り返しての事だから、そうだったかと思えば思うほど、記憶は上書きされ、曖昧になるだろうが、恐らくはそんな感じだったともう。
モノクロームだったのか、赤黒二色刷りだったのか、それとも緑黒二色刷りだったのか、そこまでいくとさらに怪しくなる。
兎に角、カラフルではなかったと思う。
少なくとも、その頃の私が慣れ親しんでいたカラフルな多色刷り絵本や図鑑どもとは一線を画す、配色とデザインの挿絵だったのは間違いないと思う。
何故なら、そこに『外国』の香りを感じた事をえらく印象的に憶えているからだ。
あれは日本のセンスではなかったと思う。
と、同時に、私は日本的なものも嗅いでいた。
その挿絵を見た時に、すぐにピンと来たのが『神話』だったからだ。

不思議なもので、その時、目にした時の絵本の挿絵は思い出せなくとも、その時に感じた印象――というか思考経路?というのは、二十年近く経った今でも感じ取れる、様な気がする。
私はあの時、確かにゲド戦記の挿絵に神話の匂いを感じていた。

というのは、一度置いておいて、話を本題である『闇の左手』に戻してみると。

この物語はSFというジャンルで語られるが、現在の一般的な意味でのSFとは少し異なると思う。
コールドスリープ、星間飛行、遺伝子操作というキーワードは断片的には出てくるが、それはあくまでも舞台装置として遥か遠方へと引っこんでいると言わざるを得ない。
(この作品を含んだ『ハイニッシュ・ユニヴァース』シリーズ全体を通してそうなのかどうかは定かではない。私が触れたグィンの作品は未だこれだけなのだから)

代わりに前面に押し出されているのは文化人類学的な側面。
つまり、この架空惑星の架空住人達は如何にして生活し、文化を持ち、考えを持つか――という意味でのサイエンスフィクションである。
近頃、盛んに宇宙戦争だとか電脳化だとか、そんなのばかり読んでいたので危うく忘れかけていたけど、そういうのもSFの主流の一つではあるのだ。
と、なると、そこにテーマとして描かれるものは『コミュニケーション』である事は自明であろう。



<ここまで書いた>
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 アリスのスペルっぽいけど、モーターヘッドの方。

ボークスがちょっと前に発売したプラモ版のバングドール。
そいつの二次生産版の予約をしました。
8400円。たけぇ。でも半分は兄持ちです。
どうせ私が買っても積むだけだからな!兄がクバルカン贔屓で良かった。

「赤に塗ってノンナ・ストラウスのバングに・・・」
「ねぇよ」

だが、そもそもノンナ卿のバングが赤いってのはオフィシャル設定なのかどうか本当はしらn

ハスハ贔屓の私としてはプラモ版A・TALL欲しいんだけど、でないよなぁ。
ダンダグラーダがプラモになったら泣くね。感涙するね。というかダンダグラーダってイラストすら存在しないよね。宇宙騎航支隊S-P-KのSPKは「スペース・パイレーツ・キラー」の略なんだってさ。イオタと喧嘩とかしそう。でもSPK隊は魔導大戦勃発時と同時にハスハから離脱して単独行動取ってるとかなんとか。おいおい、つまり大戦には不参加?なんてこったい。というかお願いですからN先生、連載の再開を早く・・・。

はい、とりあえずバングドール、自力では一生完成しないと思うけど、買いましたというお話でした。

支隊S-P-K隊


 ホーガン。
日本国内でなにかと人気のあるSF作家です。
アメリカよりも日本での人気のほうがあるんじゃないかな。星雲賞受賞3回だし。
SFの体裁をとった、本格パズラーとも呼べる作風が、日本人に受けいれられる要因でしょうか。

実際、主人公のハントは、ラスト近くで関係者を集めて「探偵、皆を集めて、さてと言い」とばかりに推理を披露します。
その直前では、ハントが全ての真相に気付いたと思わせる場面があり(ガニメデの地表に一人立ち尽くすシーン)
、その時点で読者に向けて全ての情報は開示されているというあのミステリー独特の『匂わし』があります。
そこからの終盤への雪崩れ込むような事実の開示、そして確かめるべくもない真実に思いを馳せ、さらにラストシーンの胸を打つ情景、とミステリーでお馴染みの光景が広がっています。
この展開が実に巧い。

ただ、アメリカにおけるメジャーなSF小説群と比べれば異色の作品である事も違いないと思われます。
何せ、あっちさんのSF小説とくれば『秘密兵器』や『凶暴な宇宙人』という要素が未だに現役で(いや、大抵の場合においてこういう要素は普遍的なのだけど)、そのマッチョさと比べれば、宇宙人の由来を探るというこの作品は如何にもインドアです。

まぁ逆に、インドアだからこそ日本で受けたのだとも思うけど。
また、ハードSFによくあるような形而上学的な問題もあまり出てこなかったこと(ストーリーの主眼はあくまでも謎の解明)で、物語構成をシンプルにし、読者をストーリーに上手く引き摺りこめた事も勝因かもしれない。
謎の提示と、その解明の道筋を描くのは、科学史を辿っているようでもあり、個人的には、ジュール・ヴェルヌとか前世紀のSFの走りみたいな小説と雰囲気似ているかもしれないとも思う。
純理系SFというより、文系の香りのする作品。
たぶん、対極にあるのはグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』。

81年に星雲賞受賞ですから、時代的には『雪風』より前ですよ。ミステリ界隈で言うなら『占星術殺人事件』の頃。
というかもう30年近く前ってのが意外だ。
30年経って科学はちょっとは進歩したけど、SF小説のほうはどうなのかな。
日本の作家さん達も大分頑張ってると思うんだけどね。
野尻抱介さん、応援しています。シュレディンガーのパンツ。

伊坂幸太郎の『グラスホッパー』に出てくる架空のロックミュージシャン。

「ジャック・クリスピン曰く」と何度も作中で、その名言が引用されている。
『魔王』の「考えるんだマクガイバー」と同じ手法なんだけど、クリスピンの方が洗練されてて笑える。

――ジャック・クリスピン曰く、トンネルから飛び出す前こそ気を付けろ。

何を況やという感じなのだけど、なんとなく雰囲気で理解できる。
ジャック・クリスピンはエリック・クラプトンと共演した事あるんだぜ、と言われれば、ああそうなんだと納得してしまうそうなこの妙な存在感。
ルーシー・モノストーンとか、デレク・ハートフィールドみたいな。



 埴谷先生と生前交流のあった27人のインタビューをまとめたもの。
と、一言ではこの本の凄さは語れないだろう。

まず、埴谷先生の事を知らない人も多いのではないかと思う。
埴谷雄高というのは、日本でもっとも難解な小説と呼ばれる『死霊』の作者です。
普通の二十代、三十代の人は余り知らないだろう。十代で知ってるのはよっぽどの文芸マニアくらいじゃなかろうか。
私は十年ほど前に、偶然、故・池田晶子師匠の著作から知りました。
しかし、この人は小説家としてだけではなく、戦前は共産党幹部だったりして、思想犯として牢屋にぶち込まれた事もある人です。と、書くとバリバリの左翼運動家みたいですが(実際に左翼運動家ではありましたが)、それだけの枠に嵌り切らない・・・なんつーか、変人ですね。変人。

その変人と交流のあった人たちの、変人の生前の所業を証言したのがこの本。

曰く、変人は暑がりで、何処でも裸になったと。その癖、寒がりで靴下を何枚も重ねた履いた。
曰く、変人は好き嫌いが激しく、肉は高級なものしか食べなかったし、野菜も苦手。しかし野菜ジュースは好きだった。だが、野菜100%はダメで、キャロットの混ざってるやつしか飲まなかった。ウナギ丼が美味しいと分かると、毎日そればかり食べてた。
曰く、変人は温厚で優しい人で、自分の作品に文句をつけに真夜中に部屋に押し入って来た人にも紳士的に接し、話を聞いてあげた。
曰く、変人は大変女性にモテて、今でいうストーカーにも追い掛けられたが、至って平静だった。だが流石に、窓から侵入してきた時にはキレた。しかし恐らくは、ストーキングに対してでは無く、窓から入って来た事に対してキレたのだと思う。
曰く、変人は若い学生にも人気があって、大学受験で上京してきた見知らぬ学生でも平気で家に上げて話をした。

やっぱり変人だ。
インタビューで共通して語られているのは、埴谷先生の優しさ、陽気さ。
誰とで同じように話をし、決して偉ぶったりはしなかった。
だけど、同じくらいの割合で、埴谷は根っからのニヒリストで、誰の事も決して信用はしていなかった、と語られる。

「ある」と「ない」だと、「ない」方が好きな人で、人間なんて無くなって仕舞えばいいのにってのが埴谷先生の根底にあるみたいです。
でも、やっぱり自分はいる。宇宙のこの空間の中に存在して、位置を占めている。本当は消えてしまいたいのに、やっぱりある。この不快感。『自動律の不快』
で、埴谷先生に言わせてみれば森羅万象、こういう想いを抱いている。『自動律の不快』にのたうち苦しんでいる。自分が自分でしかないというこの端的な事実を狂おしく思っている。
とまぁ、趣旨がずれつつあるので、詳しくは『死霊』で。

根っからのニヒリストだから誰にでも優しいし、平等なんですね。
自分を含めて、人間なんて塵芥程度にしか考えてなかったのかもしれない。
それに埴谷先生の女性観というのは結構酷い。早い話、差別主義者ですよね。戦前の人だからなのかしらんとも思うけど。
だから女性に人気があった。女を下に見てたから、優しく紳士的に接した部分もあったんじゃないかなぁと。大人が子供を相手する時にも、自分を良い様に見せる為に、器用に立ち回るでしょう。あんな感じ。
埴谷先生はもちろん、そんな自分の暗い部分は表に出さなかったでしょう。だから、モテた。
全部想像ですけど。

こんな素晴らしい本が書けたのは、著者の熱意がちゃんとインタビュー相手に伝わったからだと思われます。
何せこの本、著者が大学生の時に書いたんですよ。
しかも、相手が作家だったらきちんとその人の書いたものを全部読んでから挑んでいる。
本多秋五先生にインタビューするために『本多秋五全集』読みますか?と言われれば、普通は誰だって尻込みする。
でもその甲斐はあって、熱意が伝わったのか、大御所先生方もキチンとインタビューに答えている。
だからこの本は結構熱い。情熱が感じられる。

戦前、戦後の文芸界隈の動きやエピソードを知る為にも良い一冊だと思います。
お薦め。

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